所感 from唐津匠

公演について

団員募集公演『I-N-CHI-KI』が終了しました。ご来場頂いた皆様ありがとうございます。
また、劇団からっかぜ、黒飴、ムナポケ、旧LABO/1メンバー、元テクノの根岸さん他数多くの皆様にご協力頂きました。本当にありがとうございました。

劇場側の片づけや機材返却なども一段落してようやく一息つきつつ、ぼーっと公演を思い返しています。なにから書くべきかよくわからないんですが、まず公演についてというか、企画全体についてからはじめようかな。

サイト等でも説明したとおり、PROJECT熱(以降ルア)と合同で劇団を立ち上げようという話になっていたのですが、今年に入ってメンバーが他の劇団の公演に参加していたりもあって、ルアとしての活動がままならない状態にあったんですね。で、これでは団員募集しようにも、稽古見学してもらう場すら提供できない。これはマズイということで、公演するかどうかはともかく、夏くらいになにか完成させる前提で動き始めなくちゃいかん、という話が出てきたのが4月の終わり頃でした。

一方で、『LIVING IN FEAR』のプリプロダクションをやっていた昨年春頃、ルアの中西さんとムナポケの三上君から「インチキを再演してみたい」という話があったんですね。そのときは「オリジナル3本しか書いてない状態で再演ってのもナンだし、まあ、機会があったら」と流してましたけれども。

で、話が戻りますが7月に新劇団での合流が決まっている梶浦がLABO/1『2人影御子』に出演することもあって、夏に参加できそうな人材は中西の他、ルア所属の橋本・山名の計3名。3人芝居を新たに書くには時間がないので、鴻上さんの『トランス』あたりって話もあったんですが、前述の希望もあったのでインチキを再演することに決定。この時点で既に5月。

が、動き始めてみると、橋本・山名の両名が多忙のため稽古参加が無理そうという結論が出てきて、5月半ば頃から再度役者を探すことになるわけです。当初は「公演するかどうかはともかく、完成させるための稽古する」のが目的だったんですが、外部の人に依頼するのにそんなこといってられないんで、「公演する」のが前提に変わります。期間がないので勝手知ったるメンツに協力してもらうしかない。元々出演を希望していた三上君に声をかけ、以前から色々協力してもらっていた木村さんを男女の構成比率無視して誘い(笑)、山崎君が二つ返事でOKくれて、ムナポケ側と出演交渉を進める中で加藤さんの参加も決まり、中西さんの仕事の休みが取れて、あとは主人公一人探せばダブルキャスト成立(別にシングルキャストでもよかったんだけれど、出演を希望してくれた人が3名を超えた時点でダブル以上でやろうと覚悟した)ってとこまで来て稽古スタート。5月末。

紆余曲折を経て自分自身が出演する覚悟を決め(役者としては今回が初舞台の僕)、キャストの組み合わせを仮決め出来たのが6月アタマ、劇団設立のリリースと公演告知のためにこのサイトの制作をしつつ稽古を進め、会場手配に奔走しつつ劇団からっかぜさんの協力を得られ、その間に(結局台詞との兼ね合いで採用しなかったけど)BGM用にあらたに2曲書き起こし、チラシ作ってDM打って……とまあ、疾走してきた2ヶ月間。

告知期間が短かったせいで集客数はあまり多くないんですが、今まで僕やルアの公演を見たことのなかった人が多くご覧になってくださったようで、集客内容は充実したものであったと思います。また、劇団設立の告知・サイト公開・公演告知を一斉に行い、その公演も僕のオリジナルのコメディということもあって、それまで関係者が持っていた「ルアが別の形に移行する」というイメージから「新たに劇団が出来る」というものに変えることができたんではないかと。当初の目的だった団員の獲得も、ちらほら結果が出てきていますし、ドタバタして各所に協力していただいたのが幸いしたのか、横つながりがかなり広がった気がします。

結果として、僕は非常にいい企画になったと個人的に満足しています。確実に次につなげられる公演だったと思います。

ご来場頂いた方、協力してくださった皆様に繰り返し心から感謝したいと思います。本当にありがとうございました。

作品について

元々僕の浜松での活動というのはフリーをベースに“頼まれたら動く”的なエラソーなもので、2年程前の『I-N-CHI-KI』初演も、当時ムナポケのメンバーを中心に結成されたユニット「青青」の依頼を受けてのものでした。「役者3名」「出来る限り低予算」「インチキくさいもの」「コントとかもやりたい」といったような要望を受けつつ、(それまでのムナポケでやっていた無作為な体の動きだけでなく)“意識した動き”を身につけさせようという意図で書き上げたものです。

まあ、作品なんてものは好きに見てもらえればいいんですが、一応書き手の意図ってのはあるんで、なんとなく説明してみます。

物語的にはルイス・キャロルの「不思議の国のアリス」やピンク・フロイドの「ウォール」あたりと共通の、始まって5分もすればわかる単純なストーリー。

とはいえ、物語中で語られる言葉のせいでその構造には複雑なところがあって、それをどこまで読むかで判断の分かれる作品だと思います。それぞれの台詞を大雑把に捕らえて「舞台というなんでもありの空間をダシに好き勝手やってる話」というあたりで思考停止するなら、別に面白い話じゃない…というかホントに下らないコメディだと思います。そういう見方はそういう見方でアリだと思うんで、そういうのが好きな方にもそれなりに楽しんでもらえるような構成にはしているんですけれど、作品自体はあんまりバラエティ的な方向ではないってことだけは知っておいてほしいな、と。むしろストレートノベルの方法論で書いてる気がする。なんてことをわざわざ書くのは、初演時はそういう(デタラメな世界でデタラメやってるという)捉え方をした人も結構多かったみたいなんですよね(実は初演時、松本は早々にそう判断を下して爆睡していたらしい。笑)。

しかしまあ、それらの舞台という構造は所詮メタファーでしかないわけで、その先をどこまで読むか、ですね。例えば、何度か繰り返される「世界は欺瞞に満ちている」なんて馬鹿げて派手な台詞がありますが、これを「舞台はなんでもあり」と読むのは簡単。それでストーリーはおおよそ把握出来る。ただ、この「世界」というのがどの世界なのか(物語中でふれられる「世界」には、現実世界/舞台空間という世界/一個人の内部世界/記憶というひとつの世界、とか色々ある)、「欺瞞に満ちている」というのは具体的にどういった事象を指しているのか(例えばそれは自己欺瞞だったり、あるいは「記憶」という世界が「思い出」として簡略化されるとか)、そしてこの台詞自体、どの世界からどこに向けられて言ったものなのか(このあたりの相対性は劇中で何度も触れられる)。その読み方によって、(とくに鈴木と山本の発する)台詞の意味が多様性を持ってくるんですね。

その多様性の読み方自体は広くとってあって(主人公の個人的な事情を一切省いてストーリーを進めているのはそのせい)、それらをこう読め、というつもりは全くないです。そのあたりは、見た方がそれぞれ自分の中で見つけてもらえればいい。というか、自分自身、既に書き上げて2年以上経っているにもかかわらず、未だ「ああ、ここってこういう意味もあるんだな」などと発見している始末。

こういった、ひとつ(あるいは複数)の事象を別の形で表現して、主張しないまま受け手に思索を促す、というのは戯曲以外の小説を書いていたときから続く僕の特徴のひとつ。主張がなくてツマラン、と言われることもありますが、逆にそこを気に入ってくださっている人も多いし、そもそも別に僕は舞台使って青年の主張やりたいわけじゃないんで、そこはご容赦を。今後もこのスタンスでやるのかどうか知りませんけれども。

とまあ、そんなこんなで裏が多い作品です。元々小説書いてたせいか、シリアス/コメディにかかわらず僕の書いたものはそんな感じのが多いです。芝居ってのは一回見てすべて把握出来るように書いた方がいいんじゃないか、とたまに思ったりしますけど、芝居が全部ハリウッド的エンタテイメント化しても面白くないと思うんで、しばらくは好き者ミニシアターな物書きでいようかと思います。演出は派手目ですが(笑)。

あ、最後に一応。

この物語、別に逃げずに立ち向かえだとかそういった教育クサイことを言っているつもりはないです。そういう見方を否定する気はありませんが、僕としては、なにか物思いに耽っている人が目を閉じて再び開けるまでの、一瞬の自己との対話なんじゃないかと思ってます。 

演出・役者について

えーと、演出は初演を踏襲したものなのですけれど一応大雑把に触れておきます。

さくっと流せるところから行くと、照明。少ない台数で立体的な空間を作るためにランダムに数色仕込んで、その組み合わせで見せるという、いわゆるいつもの僕の明かり。少なくない台数ってのは何台なんだ?って話ですが、シンメトリックに仕込んで奥行き作ろうとすると、一色あたり6~8台は必要になってくるんで、80~100台くらい使えるまでは、この方法が一番効率よく仕込める気がしてます。とはいえ、そろそろ自分でも見飽きてきたんで別の方法も使いたいんですけどね。予算とか考えるとなかなかそうも言えず。難しいところ。
今回、オペレーターとして劇団MMKの長さん、またサブオペにPROJECT熱『バディズ』でもお世話になった大石光さんにお手伝い頂きました。長さん初オペでしかも練習時間もあまりとれなかったんですが、がんばってくれました。もちろん光さんも、仕事で忙しい中、慣れない卓相手によくやってくれました。お二方ともありがとう。

音楽と音響。

曲は今回用に書いたのが2曲程あったんですが、台詞の変更を最小限にすることにしたんでボツ。一部編集したりした他は、ほぼ初演のままですね。しいていうならカーテンコールで使ってたのが新曲。大雑把に打ち込んであったのを、公演前日に無理矢理曲っぽくしただけなんですけども。オリジナルの楽曲は他には、2場(鈴木と山本が二人で作業しているシーン)の曲、裁判のシーンでSE的に数曲、破壊の時のEPIC系のトランス、主人公の最後の台詞~ハケの時に使ってるアンビエント系の曲あたり。あと、高速マイムをやってる時の曲は、ケミカル・ブラザーズをサンプリングしてメロはアナログシンセ手弾きのリミックス。コントの「まはりーくまはーりた」もリミックスしてリズムアレンジ。
音響的には電源の関係もあって、メイン2本で回すシンプルなスタイルになりました。まあ、SEとかあんまり使ってないので充分です。からっかぜ布施さんの手作りというスピーカーがなかなかいい音で驚きました。
オペレーションはルアの梶浦さん。実はここも初オペ。直前までLABO/1出演で時間なかったのに、がんばってたね。サンクス。

続いてセット。

初演時から台本に「手作り感あふれるいかにもアマチュア演劇的なセット」と書かれているセットプランは実は僕の中で2転3転して、結局1週間前の仕込み当日の朝に決断しました。最終的に初演時のセットをコンパクトにしたスタイル、という考え方をしたんですが、当初は格子を組んで照明で透かして影出して……と考えてたんですよ。パースを書いてみたら思ったよりも和風なイメージになってしまったので、断念してパネルに絵を描くことにしました。却ってそれがよかったですね。絵を描いてくれたのはルアの中西さん。意外な才能。イイ。
格子の代わりにフレームだけのキューブ。これも壊すこと考えたらいい選択だったんじゃないかと思います。シルエットに染まると綺麗だったし(そんなとこ見てるのは僕だけかもしませんが)。作るのは大変だったですが、その甲斐はありました。稽古時間を割いて協力してくれた役者のみんな、残っていた色塗りや製作を手伝ってくれた黒飴の皆さん、ルアの橋本君、ご協力ありがとう。

衣装は初演の山本のパンツと蛇が出てきたのでそれをお借りすることにして、それぞれ手持ちのもの持ち寄って加工。小道具も含め、この辺の加工はルアの中西さんががんばってくれました。ありがとう。

それから、演出とはちょっと違いますが、快く会場を貸してくださった上に、仕込み・バラシまでご協力くださった布施さん・坂田さんをはじめとした劇団からっかぜの皆様。今回本当にお世話になりました。本当にありがとうございました。

最後に演技がらみについて。

この芝居、ハタで見てると好き勝手に遊んでいるように見えるかもしれませんが、演技において実はかなり自由度の低い芝居だと思います。アドリヴなんかも、一歩間違うと作品の現実の持ち込み方と整合性が取れなくなるので持ち込む場所・内容とも限られる。鈴木と山本に至っては、二人でひとつの台詞を言っているような側面があるので、二人の読み方でひとつのリズム・メロディを成立させなくてはならず、自分の好きなように読むことが出来ない。裁判のシーンに至っては、主人公の台詞が無理なくお客さんに浸透していくような空気感を3人全員で作っていくので、スタンドプレイはありえない。──ただし、それらが成立さえすればどうやってもいい。

それがこの芝居の(役者としての)面白いところであり、難しいところ。そして初演時のメンバーに真剣に芝居をやってみたいという興味を抱かせた要因なんじゃないかと思っています。

まず鈴木と山本。この二人、“役者”という「すでになにかをデフォルメして演じている存在をさらにデフォルメする」という役なので、いちいちオーバーアクションで動き続ける。いや、10分ならいいんですよ。ほぼハケずに1時間ですよ。体力的にも表現のバリエーションという意味でも、見た目以上にこの役ヘヴィなんです。今回ダブルキャストだったのですが、鈴木と山本役の各2名、体格も芸風も全然違う。その組み合わせから悩みました。

当初、三上+中西のシュールな空気、ぼくでもできるもん+木村のコミカルな空気、と作品の空気を変えたダブルにしようと思ったんですが(それはそれで見てみたいけど)、結果的に今回の組み合わせでよかったと思います。

比較的初演(というか、作品を書いたとき)のイメージを踏襲しているのがチーム加。子供っぽさを残した暴れ系の鈴木+どことなくエロティックな妖しい山本、という組み合わせ。チーム唐(唐十郎は関係ないっすよTALOHさん。笑)側は逆に、わりと子供っぽい山本+妖しい鈴木という形で、演じているキャラクターは全員違うものの、作品の総和としての空気感は同一であることを目指す、という少し変則的な演出をすることになりました。

加側のお二人は、やはり経験値が高い。ただ逆に、この「二人でひとつの人格」ともいうべき役をやるには、互いの個性が強い。そのコンビネーションを成立させるために、お互い苦労していたようです。とかく「自分を見せる」ことに重点を置きがちなアマチュア演劇ゆえ、こういった「互いを見せる」とか、「総和としてシーンを見せる」という意識で動こうとしてくれる役者は意外に少ないんですね。「客は役者じゃなくて作品を見に来てるんだから、自分よりも作品を面白く見せるために努力してほしい」といったようなダメ出し(これは役者としては言われて嬉しい類のものではないはず)をしながら形にしていきました。で、最後になって僕得意の「後は好きに遊んでくれればいいから」。遊び方は作品を壊すような内容がなければいいし、これまでそれについてはさんざん言っているので、あとは任せてしまっていいんですよね。時間がもう少しあったらもう少しフェイクを効かせたかもしれませんが、バランス考えたらこれくらいで充分だったのかも。

唐側は、それぞれが初演にスタッフ等で参加していることもあって、どうしても初演時の台詞回しとかがアタマに残ってしまっているので、それを崩していく作業が大変でした。ゼロから作れればまだよかったんだろうけれど、そういう(既に見てしまった)イメージにはどうしても引っ張られますからね。それでも台詞が入ってくるに従って、だんだん遊べる(鈴木と山本は「(からかったり虐めたり弄んだりを)楽しんでいる」と見せるのが最重要なので)ようになってきて一安心。ただお二人とも、細かい演技プランを立てるよりもその場の瞬発力を活かすタイプなので、どうしてもムラが激しい。いいときはすごくいいんだけれども。なので、通しよりも場に慣れるための返しを何度もやってまとめていきました。あとどうしても、斉藤演じる僕が演出に回るため、一緒に立ち稽古する時間が少なくなってしまうんですね。その辺もあってかなり苦労かけてしまいました。

主人公(台本上は「倒れていた男」)は、仕上がりがわりと演劇的になるであろう山崎+中西コンビにムナポケ加藤さん。やはり安定してコンスタンスにいい演技をしてもらうことが出来ました。自分主導で動くことが出来ない役で、また「なるべくスで。素人くさく。ヘラヘラと」という、普通演劇じゃありえない演出オーダーを、うまく演劇的に成立させてもらえたと思います。「このシーンはこういう空気感で」と言えばそれに応えてもらえたんで、あんまり駄目出ししなかった^^;すみません。

で、同じナンセンスでもナイロンと大人計画の違いというか、いわゆる演劇性を強く意識させないはっちゃけ系三上+木村コンビ側に、実は役者としては初舞台になる僕。僕役者として経験なさのせいか、素人くさく演じる、というのが素人そのものになってしまう。「それはそれで、唐津さんという役者のひとつの味じゃないかと」という松本の言葉にすがりつつ、松本や加藤さんにチェックしてもらったり、稽古をビデオに撮って自分でダメ出ししながら進めました。

そして本番の4ステージ。

それぞれに緊張や疲れもあったと思いますが、楽しんで演じてくれていたのではないかと思います。演出していていつも思うんですが、本番で楽しんで演じるというのは、お客さんを楽しませる(笑わせるという意味でなく、たとえシリアスな芝居でも)のに一番重要なんじゃないかと。初日の僕がちょっと緊張しすぎて崩れ気味でしたけれど、他は総じて各自のパワーを惜しみなくつっこんでくれたんじゃないかと思います。スタッフも含め、皆様ありがとうございました。

またご覧になってくださった皆様、温かい拍手、励ましの言葉など頂きありがとうございました。心よりお礼申し上げます。