所感 from唐津匠

公演について

新人顔見世&募集公演『王の剣 ~もしくは革命定食~』が終了しました。ご来場くださったお客様、公演にご協力くださった皆様、本当にありがとうございました。

『阿修羅城の瞳』が終わって、次の舞台は……って話になったとき、元々「夏前に松本の演出で静かな芝居を」って話があったんですが、他劇団に出張演出していたり、従来からの団員が仕事等の都合で出演が難しかったりと、実現が危ぶまれてたんですね。一方、年末には伊藤が新人として入団してきて、年明けにはたばるが参加、新人側には「動きたい」という意志がある。

それとは別の話として、『阿修羅城の瞳』は蓋を開けてみたら客席の約半数が、当日券で入ったウチの劇団初めて見るお客さんだったという。で、そう言う方々の評価がわりと良かったので、そのお客さんたちに、イキナリ“静かな演劇”を見せるっていうのはちょっとコワイ。

そんな流れの中で、新人紹介公演として、元気系の芝居やろうって話が持ち上がったんですね。この時点で参加が確定していたのが、中西・伊藤・たばる・望月の女性4人。つまり「新人中心」で「新感線作品見た人が飽きない」芝居を「女性キャスト数名」で作る。

もうね、無茶ですよ。僕はですね、自分が男ですから、女性を主人公にした話って書く自信が全然ないんです。女性らしい女性なんてすごく嘘くさい感じがしてしまうし。それに、新感線。『阿修羅城の瞳』はともかく、それ以外の新感線特有のダラダラしたギャグとか大団円とか、正直あんまり好きじゃないんですよ。挙げ句新人指導も加わるわけで、ホントに出来るのかよってのがすごく不安でした。

脚本の案を練っている間、新人のワークショップ的な基礎訓練を続け、そうこうしているうちに上野の参加が決まり、なんとか作品になりそうな構成が見えてくる。男性あと一人欲しいな、と思いながらも未定のまま、書き進めてると澤木君が参加決定。上野からの問い合わせがあと1ヶ月遅かったら、絶対出来ない公演でしたね。

当初、シンプルなるはずだった舞台は気がつけば色々仕込むことに。美術関連では、大道具・小道具はプロダクト・デザインの勉強してる伊藤と僕、衣装は瑠と中西。

伊藤や瑠は、「人のオーダーを受けて作る」ということに慣れてないんですね。それですこしゴタゴタしましたが、中西や照明で参加した大石、たばるや上野他、みんなでフォローすることでなんとか漕ぎ着けました。この辺は今後の課題ですね。早い段階での着手や、やりたいことと出来ることとの切り分け、作業分担の仕方、最終的な管理など。演技同様、作品に直結していくとこなので、劇団内でもうちょっと強化したいです。

とはいえ、今回みんなよくやったよなぁ、と思います。初舞台っていうと簡単ですが、仕事や学校なんかの私生活と、劇団活動を両立させる、というのが初めての経験なわけですよ。つまり生活スタイルそのものが大きく変わる。で、役者としてだけではなく、美術類の作り物や管理なんかも担当しなくちゃならない。大きな混乱が起きずにすんだのは、最後まで「自分たちの舞台を作る」という意識を持って、やらされているのではなく、なんとかいいもの作ろうと前向きに取り組んでくれていたからだと思います。

今回、やっていて「アマチュア演劇やってる」というより「小劇場芝居やってる」感じがすごくあったんですね。苦労を減らして楽しむというより、なにかを目指して苦労自体を楽しむというか。そういう空気が、(他劇団も含め)これまで関わってきたどの芝居よりも強かった。この2年、ルアと一緒にやってきた成果がようやく実を結びはじめた感じ。「劇団で芝居を作った」という感覚がすごく強い公演だったんですね。名前を挙げた人だけでなく、ホントに全員でがんばりましたからね。もちろん、ご協力頂いた他劇団等のスタッフも含めてね。お疲れ様でした、と心から言いたいです。 

作品について

先ほども言いましたが「新感線見た人が退屈しない」のを目指したので、僕にしてはベタなギャグが多い作品になりました。笑いっていうのは好みやツボなんかが人によって違うんで、あんまり拘ってないです。数カ所は仕掛けてますが、他は「馬鹿なことやってんなーォィ」ってニヤニヤして見てもらって、ソコがツボの人だけ笑ってくれればいいです、と。というか、僕のツボで責めるとね、誰も笑わないワケですよ。僕のツボっていうのは、例えば冒頭で、武后が「宴会をはじめる」って宣言するじゃないですか。ああいうところ、無駄にシリアスに無駄にかっこよくやるほど、「そんなにたいしたこと言ってねーだろ」ってツッコミつつ吹き出しちゃうのね僕。でも、かっこよくやると、お客さん真面目に見ちゃって笑わないのですやっぱ。でも、そこでツッコミ台詞入れるのは僕の美学(笑)と反するんで、そこは笑わなくていいですわ、みたいな割り切り。笑わせるために作ると、芝居のとしてはつまらないからね。特にTVの字幕に慣れた人相手に笑わそうと考えはじめたら、芝居としてすごく退屈。その一線は越えちゃいかんだろ、と。

実は今回、モチーフが中国史になったきっかけがどうしても思い出せないんです。まあ、日本の時代劇は前回やったし、海外進出してみますか、なノリだったかどうかすら覚えてません。伊藤の「女の子女の子した役はちょっと無理かも」発言とか、中西の「化け物系」発言とか合わせて、んじゃ戦う女系だな、と思って考えていく中で、則天武后(武則天)の二面性というか、そういうものに惹かれたんだと思います。が、それがいつ頃の話で、いつプロットを確定させたのか、全然覚えてません。

ストーリーについては、気付いた方もいらっしゃるかもしれませんが、北村龍平監督の映画『荒神』(新感線の『荒神~AraJinn~』とは無関係)、堤幸彦監督の映画『CHINESE DINNER』あたりを下敷きにしてます。そこに中国史を加え、カムカムの松村君へのオマージュなんかも取り混ぜ、僕の好みと役者のやりたいことを合わせて書いた感じ。なので、完全にオリジナルかと言われると微妙なところ。あんまり「これはオリジナルだ!」とか言い張るつもりもないんですよね。それぞれこの公演用に見たわけではなくて、前に見てたのを記憶を頼りにエッセンスとして持ち込んだので、もしかしたらまったく同じ台詞があったり、逆に全然似てなかったりするかもしれません。同じ台詞とかがあったらごめんなさい。ビデオ借りてその辺のチェックしてから台本渡す、とかやってる時間はさすがになかったです。映画に関してはレンタル出来ると思うんで、興味のある方は見比べてみてください。

歴史と合わせた裏取りをしたい人向けに一応伝えておくと、則天武后、という呼び名は皇后時代のもので、皇帝になってからは武則天と呼ぶのが正しい、とされてます。作中でも触れてますが、これは皇后時代の話。武后の名をムラサキが受け継ぎ、歴史上その後皇帝に即位するのは、システムへの抵抗の一環、ということですね。また、武后の「八百年を超えている」とかの時間軸に触れる台詞、歴史を遡ると呂后(こちらも残虐性や権力握ったことで有名)を差してることがわかるかと。ま、作品にはどうでもいいですけどね。今回、そういった作中で説明されない設定というのが多いです。幻殻の人生とか、料理長のその後とか。興味があったらメールでこっそり聞いてみてくださいな。

僕は人を死なせて感動を呼ぶってのが好きじゃないです。なので、死ぬときはあっさり死んでもらう。ムラサキの家族だけちょっとメロドラマにしてますけど、あれはストーリー上の必然で。幻殻にしても、あくまで三枚目としてかっこ悪く死ぬ。泣かせるような空気感はやだな、と。というか、死にまつわるシーンだけじゃないんですけど、自分が演出する側であるせいか、見え見えの泣き所を仕掛けてる作品ってそのあざとさに吐き気がしたりするんですよ。泣きの長台詞で感動させたりするのって、作り手としてはある意味簡単だもの。言い方で笑い取るギャグと手法としては変わらないと思うんですよ。なので今回は、「絶対お客さん泣かせない。生きる側のパワー押しで『なんだかよくワカンネーけど熱い』って方向で。その熱さに、僕と感覚の近い人が3人くらい心打たれてくれればいい」という作り方をしています。スタンダードに考えれば長台詞で涙さそったりするようなシーンを、淡々と、感情とは切り離された台詞で構成してるのはそのせい。長台詞でやるような思い自体は、それまでの行為が示してるわけですし、いちいち言葉で説明しなくていいと思うんですよね。生きることの方が体力使うし。生きてりゃそれで充分かっこいいじゃん、という『Complete~』から続く流れ。あの芝居もやっぱり泣き所って作ってないですしね。

ところで、これまでの僕の作品というのは、テーマに直結する明確なメタファー(『Complete Comlex~』の顔のオブジェ、『I-N-CHI-KI』の舞台空間そのもの、『LIVING IN FEAR』の岩)がおかれていて、その周辺を漂いながら表現するといった感じのものが多かったんです。ストーリーの予兆や名残はあっても明確な展開がなく、日常的なひとつ(あるいは複数)の事象を色々な角度から表現するっていうか。今回はそういったものがなく、ストーリーで推し進める作品だったので、従来の僕の作品を気に入ってくださってた方には違和感があったかもしれません。

が、誤解を恐れずに言えば、オーダーを受けてその条件にあわせて書く、というのが今までの僕のやり方なので、作家としての僕のスタイルだとか、自分の書きたいものってのは、自分の中に明確に持っているわけではないです。よくも悪くも、それが面白いと思えばなんでも書きます。次はまた全然違うものかもしれません。あんまり、作家として自己主張したい人間ではないのです。まあ、役者がやりたいことやれる本の方がいいですしね。

とはいえ、今回の作品が不本意なものかと言われれば、決してそうではなく、個人的には気に入ってます。後半ちょっと端折った感はありますが、あれ以上状況説明するのはヤだし、感情表現を台詞でやるとクサイというかベタ大団円ぽいので、僕の中ではあれくらいで納めたいトコ。上演時間が3時間くらいまで延ばせれば、また別の書き方になるとは思いますけどね。そこまでは諸条件が許さなかったということで。

演出について

演出というカテゴリでなにを書けばいいのか、今回はよくわからないな……。役者については別枠があるみたいなんで、演技指導から空間作りをざっくりと。ちょっと長くなると思いますけども。

この作品に限ったことではないですが、僕は綿密な演技指導というのをあまりやりません。「ここはこういう空気感で」という指定は出しますが、その空気感をどういう演技で作るかは、基本的に役者の自主性というか、自分のやりたいことの中でやってもらうのが僕のやり方。

複数の人が大きく動いたりするシーンは、コンビネーションもあるので段取りとして動きのライン決めますけどね。でも、練習の中で各自のラインを試行錯誤する時間が取れればそうするでしょう。で、動きのラインは決めるけど、そこをどう動くかはやはり役者に任せる。その時その場所で台詞のどこ読んでるかとかで、体の使い方やスピード感って変わると思うので、それを細かく指定はしません。

今回、初心者が多いこともあって、細かく指定してトレースさせるか、それとも自主性に任せるかは悩んだんですけど、役者たちとも話し合って結局指定しないことにしました。指定すると“破綻せずにそれなりに見える”って良さがあることはあるんですけど、やはり僕の想像内でしか物事が動かないし、なにより初心者にとっては“間違えることへの恐怖感”が生まれて、舞台上で楽しめないと思うんですね。

意外ですか? 僕はこれまで、役者(を中心にした組織)からのオーダーで芝居作ってきたから、自分のやり方に役者を乗せるって方法をあんまりとらないんです。基本的に役者にやりたいことをやらせて、「それをやりたいなら、こういう方法の方がよりよく見える」とか「この部分の表現が演技から抜けてる」とかってのは細かく言うけど、なにをやるか、具体的にどう表現するかは役者の自主性に任せてるんです。役者がそのことに気付くまで時間かかったりしますけどね。

今回はなんというか、技術的に表現しきれるかどうかは別にして、自分で表現するものを考えるとか、その時にどんなセレクトするかって部分で、勘所を押さえた(という表現がいいのか微妙だけど)役者が多かった印象があります。そういう意味では楽でしたね。逆の意味ではスタンダードに収まってしまったように見えるかもしれないんですが、まずはそのスタンダードを表現する技術を身につけたり、足りないものを自分で認識するための公演であるわけで。

僕は、技術不足をセンスって言葉で逃げるのが嫌いなんですね。センスってのは選択の仕方の問題だと思うんで、選択すべき技術がない人にはセンスを発揮しようがないと思うんです。なので、フルコースの芝居を経験することで、役者としてスタンダードな技術を身につける&課題を認識してもらう。それも、未経験からの半年間で。それが今回の僕の中での命題でした。

と、言うのは簡単ですが、けっこう難しい。でも今回、その命題の出来に対しては自画自賛したいです。今までも未経験者が混じった公演って何度かありましたけど、今回ほど役者が成長してくれたことはないですから。ここで止まられちゃうと寂しいですが、ここまでは非常に良くやったと、なんというか、誉め倒したい気分。ま、がんばったのは僕じゃなくて役者たちなんですけどね。

あと演技がらみでは今回、殺陣とかもあったんでその辺も少し。

僕はもちろん武術の専門家じゃないので、殺陣は見様見真似で作るしかありません。中国の刀剣の戦い方っていうのは、日本のそれとは全然違うんで、中国映画等見ながらその辺を分析。日本の剣術ってのはわりと「一撃必殺」というか、いきなり相手に致命傷与えるのを目的に攻める傾向にあるんですが、これって世界的にみると珍しいんですよ多分。その辺一応分析して作ったつもり……なんですが、今回殺陣に関しては、僕の振り付け上のミスがありまして。というのは、阿修羅の時のノリで殺陣つけてしまったんですが、客席条件が違うんですよ。つまり、舞台前側で振り回すと、お客さんに怪我させる危険があるんですね。や、最初からそんなの考えとけよって話です、すみません。殺陣を作り直すのは他の演技に影響モロ出そうだったので却下、コンパクトな振りにすることで回避したんで、イマイチ迫力なかったor逆に当たりそうで怖かったかもしれません。

椅子やテーブル、柱なんかを殺陣の中でもっと使いたかったんですが、これもセットをフルで使った稽古ってのがあんまり出来なかったんで、ちょっと無理でした。時間があればやってみたいんですけどね。椅子飛ばしたりとか。カンフー映画みたいになっちゃいますけど。

ダンス。

僕はダンスみたいなのよくやるんですが、といって、芝居の中のダンスみたいなダンスは嫌いな人でもあります。僕が舞台で使うのは、演技を音楽に合わせてやるってのの延長で、僕の中ではダンスとして捉えてないです。踊らせるなら、役者よりダンサーの方が綺麗だしね。役者はやっぱ演じてた方がカッコイイ。

序章から最初の殺陣なんかを織り交ぜた、転換も含めたダンス仕立てのシーンは、『I-N-CHI-KI』『阿修羅城の瞳』と参加してくれているMASATO(旧ぼくでもできるもん)の振付。振りにオチを用意するあたり、やはり役者だなぁ、と(笑)。

他のシーンは演技の中で作っていきました。といっても踊りって感じでもないですけどね。オープニングの武后の演舞っぽい動きとか、中盤のシメになる高速/スローの宴会ダイジェストとか。

踊りっぽいシーンだけでなく、僕の芝居は「台詞のないシーン」ってのがよく使われます。今回だとアマメが配膳してるだけとか、食事してるだけとか。その辺どう見るかで今回の芝居は印象が変わるんだろうなって気がします。でもまあ、これ僕の趣味なんで許してください。もともと小説書いてたせいか、風景描写みたいなシーンって好きなんです。

空間。

今回、大前提として「中国とそれより西と南の文化持ち込んだもので、東(つまり朝鮮半島~日本)の文化は禁止」という感じでまとめていきました。

『I-N-CHI-KI』やったときに、下手の天井の段差見て、ここに柱立てたいなぁ、と思ってたんですよね。で、今回会場がからっかぜに決まったときに、それが大前提としてあって。で、「閉鎖された空間でありながら、それを外部からコントロールするなにかが存在する」という表現のひとつとして、窓とその外から差し込む光。そこまでは必須事項として決めてありました。

上手のスカシはですね、当初映像投影したり鏡みたいに使ったり、色々考えてたんですけど、なんというか、そういうギミックとして在るよりも、それそのものを見せた方が舞台として迫力あるよな、というところに行き着いてしまって、あの形になりました。中西の書いたラフを元に、僕がデザイン&設計。

下手の柱はもっと簡単なの考えてたんですけど、伊藤が飾りとか拘ってデザインしてくれました。ありがと。

 全体の色味を、赤を中心にしたスタンダードな中華風にするか、暗幕の紺を活かして紺/グレーを中心にしたどちらかといえば古代中国風にするかは、最後まで悩みましたが、テーブルは赤だろどう考えてもってことで、赤中心。窓も赤使ってもよかったかもしれないですけどね。なんとなくブロンズのイメージだったのと、見た目ある程度浮かせてしまいたかったのであの色。

小道具は数もあって大変でした。武后とムラサキの剣、取り寄せてみたら雰囲気がけっこう似てたので、武后側をシルバーに加工して使いました。超出刃包丁はガムテばりばりのオモチャ感という指定で。デカくて振るのが大変だったらしい。幻殻が振っていた斧みたいな刀は伊藤のお手製。がんばったね。中国史上あんな形の刀は存在しないと思われるんだけど(少なくとも手元の資料には見られない。どちらかというと、西アジアの刀剣に近いデザインがされている)、そういうところは誰も指摘しない。逆に、役人の刀は「あれ日本刀でしょ?」とか指摘が入ったりする。日本刀は倭刀って名称で中国でも出回ったんですけどね。まあ、元々は料理長が兼任するはずだった役人は、超出刃包丁でやるつもりだったんです。配役変わったので新たに用意しなくちゃならなくて、中国役人風の刀を切り出してみたら、小さくてイマイチ。が、中国風の刀をそのまま大きくすると、幻殻の刀より派手になっちゃう。で、阿修羅の時の日本刀があったので、それで行こうと。ここだけ東の文化が入ったので、違和感あるのは当然と言えば当然。

照明は、いつもの感じでしたね。って手を抜いたわけではないですけど、時間や予算の関係で実験したりは厳しかったので。3台3色+αでよく乗り切ったとは言ってもらいたいかも。美術が立体的に出来たので、明かりはある意味楽でした。なにか点ければそれなりに綺麗に見えるという。もうちょっと攻めたい感じはありましたけどね。でもきっかけけっこう多かったし、オペは大変だったろうと思います。長期の機材レンタルとか出来ないから、ほぼぶっつけになっちゃうしね。初日がちょっと暗かったので、2ステ目以降、前明かり足しました。

音楽。曲として意識的に聴かせるものでは、1曲しかオリジナル使えなかった今回。高速/スローのマイムでやってた宴会のダイジェストのシーンの曲ですね。既存曲いくつか試したんですが、最終的に合う曲が見つからなかったので書き起こし。インチキ以来ひさしぶりに馬鹿っぽい曲作りました。Trance風のリード載せたお馬鹿なD’n’B。あとはアンビエント系をちょこちょこ作ってますけど、まあ、アンビエントだしね。書きたいシーンはもっとあったんですけど時間がなかった……。選曲については、ベタな中国古典音楽は1曲流せば充分だと思って、阿修羅に続きロック系中心に、あとは得意のethnoっぽいヤツとかD’n’Bかな。殺陣のシーンをほぼギターサウンドでまとめちゃったのが少し心残り。

衣装は、西や南の文化をかなり取り込んでますね。例えばアマメの服は、たしかにチャイナドレスなんですけど、着方としてはアオザイ(ベトナムの民族衣装ね)に近い。武后やアマメのチャイナ系はけっこう難しくてですね、簡単に手にはいるのってどうしてもコスプレ系チャイナになっちゃうんですよ。なので中国から生地取り寄せたり、既存のチャイナを加工したりして作りました。幻殻の鎧は、阿修羅の妖かし衣装の作り方を踏襲。ムラサキはなんとなく、トリニティ(映画『MATRIX』のヒロインね)の古い中国版な感じでって伝えた気がする。れみちゃんは、イケイケ風ってのもありだと思ったけど、もっと等身大の現代人がよかったんで、おもいっきり普通な感じにしてもらいました。

僕の舞台は、個別のオブジェクト(役者もそのひとつ)よりも、それぞれが置かれた総体としての空間を見せるという側面が強いです。バランスが重要になってくるので、個別のものに出されるオーダーがシビアになってくる。大雑把でもいいけれど、バランスを崩すものが入ると空間(というと大仰だけど、演技や美術といったお客さんに映るもの全ての姿と、それが与える印象)が力強さを得られないんですね(狙ったアンバランスというのもありますが、それはまた別の話)。僕は生の舞台の良さってのはその力強さだと思うんで、そこにはすごく拘る傾向があるんです。それは仕込みの物量とかは関係なくてですね、例えば、映像だと暗転って、暗転しても部屋の中やなんかが目に入りますけど、舞台だと(環境にもよりますが)ホントに闇になるじゃないですか。そういう力というか。

実は僕は「演出家の空気が全面に出ていて役者の顔が見えない」とも「役者が好きなように演じていて演出家の顔が見えない」とも、どちらもよく言われます。作品によって言われ方が違うわけではなくて、同じ作品でも見る人によって違う。それは多分、個別の演技じゃなくて空間(シーンって言い換えてもいいかもしれない)で芝居作っていくせいだと思います。僕が演出家として空間に対する最終決定権を持ってるんで、結果だけ見ると僕の支配力が強く見えるかもしれないですが、実際は僕、役者の演技や美術(音や明かりは自分でやるので)に応じて、その空間を(自分の予定からは)大きく変えていってるんですね。総和として融合するように。だから役者は好き勝手に出来るし、好きにやってても空間として支配され、融合していく、という感じで。ある意味僕は、個人的には「演出家も役者も顔が見えない芝居」を目指してるんじゃないかと思ってます。僕が客として芝居を見るとき、役者も演出家もどうでもいいんですよ。見たいのは作品だから。役者出身の演出家の方々とは、その部分でいつも乖離を感じるんですね。個々の役者を見に来るファンや関係者相手の発表会なら、「オレを見ろ!」っていうあり方もいいかもしれないですけど、「オレは面白い役者だぜ!」って舞台で見せられても、「……で? 面白い芝居はいつ始まるの?」と思うんです僕。

自己表現と作品表現の違いですかね。作品に没入して、役を演じるのに徹すれば徹するほど、演じるキャラクターが全面に出て、演じてる役者の顔は見えにくくなる。ただ、没入すると個が消えるわけではなくて、そのキャラクターの演じ方というところに、個性というのは確実に出てくる。今回の芝居にしても、配役を変えれば個々の役の空気は全然違うものになるでしょう。でも、作品の空気は動かない。お客さんに作品見せるっていうのは、そういうもんだと思ってます。

ま、バランスの問題だとは思うんですけどね。 

役者について

役者とその演技。

今回ホント初心者集団なので、“台詞が全部入るのか”というあたりから不安がありました。が、蓋を開けてみれば台詞飛んだり噛んだりはスゴク少なかったですね。そういう基礎的なことはしっかり出来たってのは、地味だけど確かな収穫。暗転ほとんどナシで出ずっぱり約2時間ってのは、経験者でも過酷な条件。オマケに、突然のギャグや怒鳴りあいでシーンが変わっていくんで、ちょっとでも気を抜くと置いて行かれる。なにかしながら喋るとか、唐突に会話の流れを変えるってのが多いんで大変だったと思います。とりあえず、初舞台にしてはかなりヘヴィなフルコースの芝居を、止めることなく最後まで演じきったという、それだけのことが十分に評価に値すると舞台だったんじゃないかと思います。

あとイイワケですけど、会場が幕類多いこともあって、かなり声を吸われる空間だったんですね。ウチの役者は比較的声デカイ方だと思うんですけども、音楽なんかの影響もあって、実際以上に小さく感じてしまう。その辺は加味してやってください。まぁ、僕自身まだ発声に満足出来ないんで、もっと上げていかないとな、とは思ってます。

個別に少しずつ。

いきなりですが料理人たち。エキストラ的に参加していただいた「料理人たち」は、従来からの団員から松本俊一・森歩の他、『I-N-CHI-KI』の鈴木役・『阿修羅城の瞳』の祓刀斎役で出演していたMASATO(旧ぼくでもできるもん)と、彼が誘ってくれたダンサーの鈴木さん、m-planetの館さん。あと、役人兼任で伊藤の友人の生熊君。フルにセットを使った稽古や段取り合わせっていうのが、本番直前の数日しか出来ないにもかかわらずよくやってくれたなぁ、と。時間があったら給仕のシーンをもっと作り込みたかったですけどね。フル仕込みで稽古出来るプロではないんで、その辺はアマの宿命だということでご容赦を。

続いて役人の生熊君。料理人たちでオファーがあった彼ですが、台詞ある役にも挑戦したいってことだったので、元々は料理長が兼任するはずだった役人役もお願いしました。声優の養成所に通っている彼は、芝居は初挑戦。声優特有の言い回しとか声色とか、そういうのが最初かなりひっかかってたんですけど、短い稽古で馴染ませてくれました。

料理長役の澤木君。なんかもうこれ、役が美味しいからね(笑)。それをどこまで表現するかってのが大変なんだけど。個人的にはもうちょいじっくり攻めて欲しい感じはありますが、本番直前にかなり表現上げてきたのでOKな気分。豊川からの稽古参加は大変だったと思いますが、お疲れ様でした。

れみ役の望月さん。キャピキャピ系の役が出来るのかってのが不安でしたが、意外にイケますね。彼女はなんというか、自分が喋ってないときの演技というか空気の作り方がうまい。阿修羅の笑死もそうだった。今後もその辺活かしてもらえればと思います。実はがっちり声出させると、意外に張りのある太い声持ってるんで、それを使った役どころとかもやってみてもらいたいですね。

アマメ役のたばる。完全に経験ゼロからの初舞台。なんか、最初におおよその構想決めたときから、たばるが間の抜けた声で「申し上げます~」っていう台詞から始まるって決めてたんですよ。独特の雰囲気があって、役者として非常に面白い存在。今回は見せ場ってのをあまり持たせてあげられなかったんですけど、細かいところの表現を頑張ってくれてました。ただ立っているって演技としては難しいと思うんですよ。前に出てる人の邪魔にならず、といって突っ立ってるわけでもなく、不自然にならずっていうのはね。地味だけど重要な資質。それが出来る人ってのは、自分が前に出てもちゃんとやれると思うんです。今後にすごく期待。

幻殻役の上野。こちらも経験ゼロだった初心者。よくも悪くも経験者然とした旨さがあって、その手堅さに助けられました。殺陣の飲み込みやキレもよかった。反面、スタンダードに納めてしまう感じもあるので、その辺が今後の課題といったあたりでしょうか。色んな役を経験して、○○を参考にした演技っていうのから、自分のイメージしたやりたい演技ってのに変わっていけばいいんじゃないかと。魅せることに躊躇がないっていうのはかなり大きな力だと思うんで、その辺活かしていけるといいですね。

ムラサキ役の伊藤。高校の時に演劇部だったらしいですが、1年で退部して体育会系になってたので、実質的には経験ゼロ。伊藤は色々と体の癖があるんで、それを意識して動けるようにするのが早急な課題かなぁ。あと、なんといってもお客さんの目線を怖がりすぎ。見られてるんじゃなくて、見せているって胸張って演じられないとツライ。とはいえ、自信をつけてやるのは僕の仕事。今回は台詞やその言い回し、体の動かし方なんかに気を取られすぎて、そういった演技の本質的なことをあまり指導して上げられなかったんで、これから時間かけて育てて行きたいですね。まだ若いし、これからこれから。今回一番成長したのは多分この子だしね。ストイックな子なんで、経験が解決していくでしょう。

武后役の中西祥子。今回メインのキャストでは唯一の経験者。『I-N-CHI-KI』以降の化け物系を通じて、ルア時代の力任せ一直線から表現に厚みを持ってきた感じですが、これはこれでひとつの型として彼女の中に取り込んだと思うので、そろそろ別な姿も見てみたい。今回みたいな身のこなしって人間の役でもアリだと思うんですよね。や、もちろん現代日常劇なんかじゃ使い方難しいでしょうけど。次回の日常劇でどう出るかが楽しみ。

全体的に、今回は「役者の方法論を身につける」っていうところに重点をおいて進めてきました。その成果はそれぞれ得られたものがあると思うので、次回の松本演出の日常劇で、感情面やディテイルの作り込みを身につけてもらえれば、より厚みが増すんじゃないかと思います。うちが日常劇やるの久しぶりですしね。またしても挑戦の日々になりますが、挑戦を楽しめる体制が出来てきてるんで、徐々に成果が現れてくるかと。お互いがんばりましょう。お客様も暖かく見守ってやってください。よろしくお願いします。