『跋扈の暁』役者所感

【中西祥子】
絡繰機械’s第21回公演『跋扈の暁』終演致しました!ご来場いただきました皆様、公演を手伝って下さったスタッフの皆様、協力いただいた関係者の皆様。トラブルなく無事に公演を終わらせることが出来たのも皆様方のおかげです。本当にありがとうございました!!皆様に支えられて、絡繰機械’sは舞台を創ることが出来ています。至らない点もあるとは思いますがこれからも劇団員一同精進していきますので、今後もあたたかく見守っていただければ幸いです。

今回は約9ヶ月ぶりの舞台となりました。仕事の関係とはいえ9ヶ月も舞台に立つことが出来なかったのは、役者馬鹿の私にとっては想像以上に大きな精神的ダメージを負うものとなりました。こんなストレスを背負うくらいなら忙しくても芝居やってた方がいい!と思い、仕事を無理矢理切り詰めて『跋扈の暁』に臨みました。だから稽古中も本番も、身体的にはすごく辛かったですが、精神的にはかなり解放されてました。
私が演じた守山シズは非常に振り幅の大きなキャラクターでした。最初に台本をもらったとき、これはなかなか厳しいなと正直焦りました。笑いをとらなきゃいけないし、シリアスな雰囲気もつくらないといけない。コミカルでミステリアスで、しかも高齢のおばあちゃんで、巨大なまさかりを担いでて、木こりで、木の根と戦って。・・・・こうやって書くと「どんなだ!」とツッコミたくなりますね。でも稽古を始めてみると、びっくりするくらいシズが馴染んだんですよ。台本を読んだときには、あまりに振り幅が大きい役だったのでキャラクターが破綻してしまうんじゃないかと心配したんですが、いざ稽古で身体を動かしてみると馴染むんですよ。その声も身体の使い方も、シズとして動いてしゃべって生きてる。稽古中からそうだったんですが、本番の舞台に立ってようやく分かったんです。すごく驕った言い方ですけど、多分私は舞台そのものに受け入れられていたんだと思います。自己満足な発言で申し訳ないんですけど、心底気持ちよかったです(笑)私はやっぱり舞台が好きです。いつも公演が終わるたびに実感するんですが、今回は特にそう思いました。舞台に立てるのなら、きっとどんな犠牲でも払ってしまうんだと思います。そしてそんな自分が愛しくて仕方ないのです。応援して下さった全ての皆様に愛と感謝をこめて。

【伊藤彩希】
絡繰機械‘s第21回公演「跋扈の暁」にご来場いただいた皆様、お手伝い頂いた関係各位、一緒に頑張った劇団員の皆様、ありがとうございました!今回も無事、幕を下ろすことができましたこと、本当に、本当にありがたく思っております。ありがたい!あーありがたい!

■役者について
今回私が勝手に定めていたテーマは「中身を埋める」ことでした。前回のテーマが「きちんと調整をする」ことだったので、今回はその真逆です。真逆…なのか?微妙なところですが、まあアプローチ的な意味で一応対極に位置付けます。「中身を埋める」、これは言い換えれば集中力を途切れさせないということです。きちんとその人物として、その場所に立っているということ。「うまくならなければ」「ちゃんとやらなければ」という意識が働きすぎたせいで、最近形や技術に振り回されることが多かったので、もう一度基礎に立ち返るという意味でそういった目標にしました。本来私が目指していたものは、前回の「きちんと調整をする」が出来ているうえで、「中身を埋める」ことですが、例の一つですがラストシーンの鉞の振り方が結局かっこ悪い状態になってしまったことから、満足のいく結果では無かったといえます。が、学び取れることは非常に多かったので、今後の糧にしていきます。ウキウキできるレベルで学んだこと、思ったこと、試してみたいこと、強化したいところ、伸ばしたいところ、無限に出てきてしまったので、やっぱりまだまだ芝居を辞められそうにありません。鉞の振り方に関しては、「きちんと調整をする」意識で行えば、格好悪くならず振ることができていました。にも拘わらず、私の言葉でいうところの「中身を埋める」と形が崩れてしまう。これがどういうことかというと、①セリフを言うことによって「調整する」意識が薄れる。②無駄に体に力が入りすぎて本来の動きにならない。③「芝居に集中する」ということの、捉え方が間違っている。④下手だから。はい!これ全部正解です!これを改善していくのが、次の公演までの私の課題です!体の適切な調整と心的な中身の厚さ、これを私は別々のものとして捉えていましたが、実際には、その場面ごとに絶妙なバランスを取り続けることがおそらく大事で、そのバランス力を磨き続けることによって、最終的には双方ともに100%の状態で芝居に臨むこと。これが上手い人たちの言うところの、「自分を上から客観的に見てる状態」というのではないかと、今のところ私はそう思っています。

■美術について
えー……深夜1:30を回ってしまったのでさくっと!ここからはさくっと書かせていただきます!至らぬところがたくさんあります。予算を結局今回も超えてしまいました。今までは心のどこかで、「とはいえ時間もないし予算超えてもこれが最良の選択だししょうがないし」という意識がありました。それではだめだと思います。どんな状況であれ、どうしたら最善を尽くせるか考えなくなったら、その組織はもう終わりです。上に立つ人がそんなことをしたらいけないんです。与えられた環境下で、決まった条件のもと、求められるクオリティに応えること。非常に難しいことです。我々は言っても素人ですから。でも、目指さない限りはできるようなりません。あきらめなければ大概のことは出来るようになると、私は最近学びました。出来るようになるように、一個一個丁寧にクリアしていこうと思います。でも一応自分で言っときますが、良い美術だったと思います。頑張ります。大道具のかぶちゃん・小道具の坂本君は非常に頑張ってくれました。個々の反省点を生かし、次に繋げていってくれればと思います。

全体的な話をしますと、今回はですね、非常に楽しかったです。久しぶりにセリフが出るかどうかの不安や、段取りを間違えないかどうかという不安もなく本番に臨めたからかもしれません。いや余裕はいつも以上に無かったんですけどね。そういった意味では、セリフや段取りがきちんと頭に入ったということは、ある程度中身が埋まっていたということです。というか、たぶん劇団員の誰も信じてくれないと思いますが、私今回たぶん歴代1位で中身が埋まってました。ただ、それを表出させる技術が足りませんでした。且つ、それを表現させるキャラクター設定も甘かったです。でも、心がそよそよと動くということ、それを楽しめたということは、この先頑張っていく気力に繋がります。楽しみです。頑張れたら頑張れた分だけ、ちゃんと出来ることが増えるのが。

いや、わたくし本番四日前の木曜日、ラストシーンの稽古中に、コンクリートで前頭部を強打いたしまして。すっごい痛かったんですよ。もんのすっっっごい痛かったんですよ。全力疾走中に急に目の前にコンクリートが現れてそのまま突っ込んでったみたいな。そんな状況だったわけですが、打った瞬間っていうのはもう訳が分からないんですよ。何が起きてるかわからないけど何故か激痛で動けないんですよ。もううずくまるしかないんですよ。黙って耐えて痛みが過ぎ去るのをまつしか手がないんですよ。そんで涙目で立ち止まっていると、そのうち状況が理解できるようになるんですね。ああ、私コンクリートの梁で頭打ったんだな、と。なんで気をつけなきゃいけないことが分かっているのに突っ込んじゃったかなあ、ばかだなあ、だからダメなんだよなあと後悔の念が襲ってくるわけです。痛いやら情けないやら大事なシーンの稽古中でしかも本番直前に何てことしてんだと。最低だ私と。心が折れるわけですよ。ポキッといっちゃうわけですよ。でもその状態で、まあ動けないのもありつつですが、周りから何の音もしないわけです。シーンとしてるわけですよ。いるのに!稽古中だから人いるのに!そうなんですよ。稽古中なんですよ。待ってるんですよ、次のセリフ私だから。待っててくれてるんですよ。あまりの痛さで立ち止まっているのに。…いや、待っててくれてるっつーか、実際には「何勝手に止めてんだよ早くやれよ」的な雰囲気だったはずですが。「そうでした!」と。「まだ終わりの合図鳴ってない!」と。「止められる前に続けないと!」と。涙目のままよろよろしながら、前日に貰いたての最後のセリフを、途切れ途切れな上にニュアンスもへったくれもありませんでしたが、頭を全力で打った割には間違えることなく言えました。いやボロボロだったんですけどね。ボロボロな上にダメダメでしたが、私はあの時、二年前くらいからずるずると引きずっていたメンタル面の不調を、「あ、私もう大丈夫だわ。」と思いました。ようやく確信できました。うれしかったです。
次回は10周年公演です。地に足をつけて頑張ります。劇団員募集中です!長々とありがとうございました。おやすみなさいませー。

【たばるとも】
絡繰機械’s第21回公演『跋扈の暁』無事終演いたしました。ご来場いただきました皆様、お手伝いしてくださいました皆様、ありがとうございました。そして はままつ演劇オムニバスでご一緒しました劇団Tips、劇彩 青とオレンジ、kinomi produce の皆様、ありがとうございましたお疲れさまでしたー。
今回、演出からは『かわいく』というオーダーでした。稽古していく中でかわいい方向でいきましょうということになったんですが、稽古中、ちょいちょい『もうちょっとかわいい感じで 』と言われたので、その度に『あ、わたしかわいくないんだな』と思ってました(笑)。最終的にはどうなってたでしょうかね~。台本稽古から本番まで本当にあっという間だったなぁ。公演はとても好評だったようなので一安心しています。
来年は絡繰機械’s10周年! たくさんの皆様に益々楽しんでいただけるよう頑張ります。引き続きのご愛顧よろしくお願いします!

【柳川智彦】
絡繰機械’s第21回公演『跋扈の暁』、無事に公演を終えることができました。ご観劇いただいた皆様、ご尽力を賜りました関係各位に厚く御礼申し上げます。
さて、お芝居をご覧になった方は既にご存じのとおり、今回の劇中にはとある童話が登場します。私が芝居をつづけている理由のひとつに、物語が好きだということがありまして、その切っ掛けというか原体験はやはりイソップやアンデルセン童話だったような気がします。そこから星新一のショートショートを経て、落語に小説全般とすすんだように記憶しています。小説家の北村薫さんが『小説が書かれ読まれるのは、人生がただ一度であることへの抗議からだと思います』ということを書いているのですが、小説を演劇に置換えてもそのとおりだろうと思います。今回、私は守山壮一という人物を演じることで村の未来を憂う村長としての人生を経験しました。
次回はついにカラクリマシーンズ10周年。どんな人生を経験できるのか今から楽しみです。

【河野丈志】
今回の舞台はカラクリではなかなか無い、日本が舞台、しかも話のタネとなったのは「ジャックと豆の木」、今までにない雰囲気を感じました。今思うと「ジャックと豆の木」すごい話ですね。雲を突き抜けるほど育った豆の木を登ったジャックの体力も、雲の上なのに巨人が住めていたり。いろいろ物理法則を超えています。 芝居という意味ではギャグを織り交ぜた明るいシーン、略奪者としてのジャックを語る重暗いシーン、どちらもそれを作り出す1つ1つの言葉やそのタイミングを細かく見直していかなければならないと思っています。観劇してくださったみなさん、応援してくださるみなさん、本当にありがとうございます。来年はカラクリ10周年として企画を計画中です。楽しみにしていていただければ幸いです。

【坂本竜也】
この度は跋扈の暁をご覧いただき、誠にありがとうございました。実は僕、お客さんをほとんど呼べませんてました…。関係者にはとても申し訳ない気持ちでいっぱいなのですがそれを今伝えたいのではなくて、僕の演じた神崎教授についてです。あの役は僕の今まで演じた役のなかで、一番笑いを頂きました。自分の呼んだお客さんがほとんどいない中であれだけ笑って頂けたのは、僕にとって大変喜ばしいことです。教授が皆さんに受け入れられたようでホッと胸を撫で下ろしております。
僕が劇団員になってから今回で三回目の公演となりました。三回とも同じような役は無く、そのキャラ作りに最初は苦戦するも、最後は作ったキャラが僕を引っ張りあげてくれる感覚を何度か感じました。教授もそうです。実は教授、当初はもう少しだけお堅いというかお偉いキャラでした。シーンの雰囲気を変えるため、少し快活さへと舵をきった結果あぁなったのです。つまりはもう一人の神崎教授は日の目を見ることはありませんでした。まぁ、皆様にご好評いただけましたので結果としては大成功ですね。それにつけても思うのです。これらの日々の頑張りは、皆様にご覧いただいて初めて意味をなすのだと。
今一度、感謝を申し上げます。ありがとうございました。