こんな企画もしてました。王の剣HP企画「中国とわたし」

次回公演は「即決ロックンロール!」に変更となりましたが、当初予定していた「王の剣」のHP企画として役者のみなさんに中国に関するエピソードを書いていただいてました。演目は変わったけれど、せっかく書いたものをしまっておくのはもったいない!ということで紹介していこうと思います。


<中西祥子>

中国福建省にある『福建土楼』って知ってますか?写真を見てもらえれば分かると思うんですが、土楼っていうのは外部立ち入り禁止の大きな建物で厚い土壁と木の骨格から成る3階から5階建ての集合住宅です。すごいなーって思うのが、この土で出来た建物は通常1つの入り口しか持たず、この土楼の中だけで80家族以上が生活してるってところです。しかも住んでるのは一族のみ、つまり一つの親族が何世代にも渡って一つの土楼の中で生活を営んでいるんです。二世帯住宅ならぬ八十世帯住宅ってかんじですね。異民族に追われた漢民族が山奥にひっそりと建てたらしいんですが、それ故に一族というものに対する思いが並々ならず強いのだろうなと思います。土楼の中だけに存在する文化や思想、習慣や歴史というものがあって、それを今も守り続けている人たちがいる。どうしても一度は訪れてみたいなーと思ってしまいます。果てしない時を経て受け継がれてきた思いは、今なお生活する人々の思いによって刻一刻と変化しているのにも関わらず、一族という大きな器に最終的には戻っていく・・・・。その地に実際に足を踏み入れてみなければ感じることが出来ない空気がきっとあるんでしょうね。是非ともこの足で、その土楼の中に入ってみたいものです。

 

 


<森歩>

「上陸」
今から10年くらい前にとある研修に参加して中国へ行ってきました。
浜松から新幹線で神戸へ。
神戸から海路で中国の天津へ。
瀬戸内海を出て東シナ海を渡っていきます。
途中台湾の付近がかなり揺れて一緒に参加した友人たちも次々と船酔いでダウン。
私ももれずに船酔いになりました。
船酔いは陸に上がるまで治らないといわれますが、揺れが治まってくると少しずつよくなっていたような気がします。
そういう状況の中で天津へ到着。
天津からは次の目的地である北京へバス移動です。
天津へ着いて最初に思ったこと。
「大陸に来たんだ」
祖父は第二次世界大戦中、陸軍にいて天津に来ていたことがあると聞いていました。
戦争を肯定するわけではありませんが、祖父が来ていたところに自分も来たということが、なんとも言えず感慨深く感じたのを覚えています。
ちなみに「天津飯」は天津にはありません。
というか中華料理にありません。
とその時友人に聞いて驚きました。
中華料理だと思ってました。

 


<伊藤彩希>

ふしぎ遊戯と虎と馬失礼ながら中国に思いを馳せた記憶が全くないもので、少々痛々しいですが漫画の話で場を繋ごうと思います。中学生のころ、「ふしぎ遊戯」という漫画を集めだしまして。昔の中国をファンタジーにしたような世界観なんですが、まーとにかくハマりました。朱雀召喚の祝詞を完璧に暗記するほどはまりました。多分今でも言えます。リアル中2病です。あぁあ、痛い痛い痛い!(笑)ちなみに、昔ジャンプで連載していた封神演義も好きでした。ドラえもんの映画で一番好きなのはパラレル西遊記です。えーと。それからそれから――あ!お姉ちゃんの昔の彼氏のあだ名がパンダでした!!
――そうだ、せっかくの良い機会だ。あの禍々しい記憶をイメージ化してみよう――
そう思って、生茶パンダの偽物を写真に撮ってみました。怖かったです。猫熊のち虎馬。以上、「私と中国」でした(作文か)。

 


<たばるとも>

中国は行ったことがあるのです。今まで行った海外の中で最後に行った国。と言っても、もう7年ほども前。そのとき、行き先に中国を選んだのは、確か「海外は行きたいけれど長距離は大変なので近場で」という理由だったような。でも万里の長城と、水墨画のような景色で有名な桂林には行ってみたいと常々思っていたのでした。
この2ヶ所、やはり絶景。長城も本当に果てしなく城壁が続き、桂林の景色もそりゃ360度がその世界ですから写真で見るのとはわけが違う。行ったことのある人は多いかもしれませんが、まだの方、オススメですよ。
桂林は水墨画のような景色で有名ですが、「晴れれば水彩画、雨なら水墨画」と両方楽しめます。遊覧船で漓江を下るのですが、運のいいことに私は両方を楽しめた!屋根のない船上では晴れて水彩画を楽しみ、バスで桂林を走っている間には雨が降り水墨画を満喫!
観光地には露店が並び、おみやげ物が売られている。やはり日本人はよく声を掛けられるんだけど、店の前を通るたびに「500円!!500円!!」と言ってくる。というかね、どこもかしこも「500円!」としか言わない。なぜに全部500円!?他にも金額あるでしょうが。そして、それもっと安いやろ!っていうのも500円(笑)
とある露店に差しかかったときも、やはり「500円!」とこちらに向かって声が飛んできた。見るとTシャツ屋さん。これまで通り過ぎたTシャツ屋さんもずっと「500円!」だったので、そろそろ買うかと立ち止まり物色。「じゃあ、コレとコレとコレ、3枚で500円!OK?」っていうと、すんなりOK。OKなんかい!!!でも中国ではTシャツ1枚150円前後が相場。まあピンキリあるでしょうけど。
あとは…北京ダックをたらふく食べたな(笑)
と、こういうのを書いていると旅行に行きたくなってくる。
では最後に中国つながりということで小ネタをひとつ。

昔、バンドをしてた頃のバンド名は
[Xi:an] (←読み:しーあん。漢字で書くと「西安」。中国の地名))
でした。謝謝!

 


<上野果実>

高校時代、横浜への遠足?にて、グループ行動で中華街へ赴いたときのこと。
男子5人ほどで、あちらの国の雰囲気を感じながら土産物屋などを冷やかしつつ歩いていると、何やら良い匂いが。
大きな豚まんが店頭でこれ見よがしに蒸され、辺り一帯にほかほかの蒸気と、食べ盛りの男子学生の鼻腔をくすぐる肉々しい匂いを漂わせているではありませんか!
「やっぱ本場の食いたいよなー」
迷わず全員購入。店前で次々にかぶりつく学生達。今でいうところの、何とかパウンダーよろしくボリューミィな豚まんを、私も一口、二口、三口と頬張っていきます。
「これが本場かー」
しかしこの後、私に悲劇が…。
半分以上は食しただろうところで、ふと豚まんの断面を見ると、下側に何やら千切ったか毟ったかされたような紙の端がチラリ…。
そうです、私が食べてしまっていたんです。まさか本場の豚まんに「下の紙」が付いてるなんて思いもせず、気づかずに食べ進めていたのでした。どんだけ夢中やねん。
そういえば下の歯に当たる歯触りが何となくミシミシいってた気もするなぁ。でも本場ってこうなんだろなと、疑う由もありませんでした。
どんだけ凝り固まっとんねん。
その様子に気づいたグループの面々は爆笑。まさか紙ごと食べるヤツが居るとは、ですと。まあウケただけ良し。
ちなみにその後に体の具合がおかしくなったようなことはありません。
一食で二度オイシかった16の冬でしたとさ。

 


<柳川智彦>

『うろ覚え旅行記』

2002年に北京へ旅行しました。当時大学4回生。初の海外ですごく緊張してました。その時の事を思い出してみたいと思います。

まずは観光から…
中国といえば何と言っても『万里の長城』!!
ベタです。ベタですがやはり欠かせません。思ったより起伏があって、所々、両手両足で階段を登った記憶があります。景色が良いので、ついつい登山気分で「ヤッホー」と叫びました。
冷たい視線を浴びました。

『故宮(紫禁城)』も有名な観光名所ですね。北京市街のど真ん中にあります。広大な敷地と荘厳な雰囲気に圧倒されて、意味なく「ラストエンペラー…」とかつぶやいてしまいます。あ、関係ないですが「愛新覚羅(アイシンカクラ)」という響きがスキです。
鶴、亀、獅子、龍などの像が沢山。建物の細かな装飾もキレイでした。出来れば1日かけてゆっくり見てまわりたいです。

次に食事について…
街の食堂で豚まんやビールを飲み食いしたんですが、コレがひじょーーーに美味しかった。
ちなみに、豚まんには黒酢。ビールは『青島ビール』よりも『燕京ビール』が北京流…たぶん。
もちろん紹興酒などもいただきました。

高級店にも行ったんですが緊張しすぎてあまり覚えてないのが残念です。北京ダックは食べました。
店員さんが超然としていて、何があっても動じなかったのも印象深いです。

最後に、お土産は…
ベタな旅に相応しくお茶を購入。
他には北京動物園名物(?)『パンダ傘』を買いました。
試しにさしてみると、なかなか可愛く……ない。

むしろサイコさん。

傘に罪はありません。
全て私の責任です。ゴメンナサイ。

……以上(笑)
ホントうろ覚えですみません。とにもかくにも楽しい旅でした。
また必ず行きたいですね。この10年近くで北京の街がどのように変わったか確かめてみたいと思います。

 


<成瀬聡美>

高校時代の先生が別の高校の修学旅行に中国に行ったときに、中国の田舎の方で中国料理を食べたそうなんです。そのときにお腹を壊し、その後お腹を壊したまま修学旅行を過ごしたそうです。何故か聞いたところ、中国では元々料理をする時に動物油を使うそうなんです。普段植物油を使った料理を食べている日本人には馴染まなかったというわけらしいのです。そこで、googleで植物油と動物油の違いを調べてみたところ「牛、豚、鶏など動物油は、飽和脂肪酸を多く含み、常温では固体のものが多いです。(ラード、バターなど)一方、魚の油や植物油は、不飽和脂肪酸を多く含み、常温では液体です。(サラダ油、イワシの油など)」ということが書いてありました。…なるほど、よくわからん。つまり簡単に言うと、ただでさえ脂っこい中国料理に動物油と言うさらに脂っこいものが混ぜ合わさったことによって、胃腸が対応しきれなかったと思います。ですから最近では中国の都会では植物油を使って食べやすくしているのだとか。みなさんも中国に行くときは、その料理が植物油か動物油なのか気にしてみるといいかもしれませんね。でも、本当に本場の味を知りたければ、動物油を使った中国料理を食べるのもいいですね。私は、胃腸が弱いので遠慮しておきますが。

 


<NaO>

中国は、興味深い国ではあるが、行ったことはない。
だから、中国に行って、なにをしてみたいか考えてみる。
武道に携わる者として、武術の地を回って体験するのも、悪くない。
しかし、痛そうだから、止めておこう。
痛いことは、嫌いですから。
そこで、考えてみた。
そして、以前、『最高の人生の見つけ方』という映画の中で、やっていた事を、やっていた場所でやってみたいと思った。
それは、万里の長城を、バイクで走る。
ただ、バイクで、走り抜けたい。
自分は、バイク乗りだから。
ハイスピードで、走りたいが、アスファルトではない路面を、ハイスピードで走る腕はないから、止めておこう。
自分のペースで、気楽に走ろう。
それでも、スピードフリークなため、跳ばすのは、目に見えているが…。
世界遺産になんてことをと言う人もいるだろうが、無理を承知で、世界最長の建造物を、駆け抜けてみたい。
総延長、8851、8㎞。有史以来、この距離に匹敵する、レースやラリーは、数えるほどしか、無いだろう。
どうなるか、想像もつかない。
なぜそんなことがしたいか?
聞かれると、大いに困るが、そこに、走ってみたら、面白そうな場所がるから。
それだけで、自分には、十分な理由になる。
もし叶うなら、御一緒にいががですか。
負けませんよ。

 


<安食宏美>

あたしが通ってた大学が、中国と浅からぬ繋がりがある学校でした。
戦後、中国にあった大学から引き揚げてきた教員や学生が創った、って大学だったので。
だから、キャンパスは違ったけど「現代中国学科」があったり、体育の選択授業に「中国武術」があったり。
で、勿論選択しました!「中国武術」!!
授業内容は、「簡化二十四式太極拳」が中心。
講師は、「長拳」でアジア大会入賞経験もあるそうな張先生。
もう10年も前のことだから、太極拳は忘れちゃったけど、先生の教えで、今でも強く印象に残ってることがあります。
「太極拳は、健康体操じゃない。れっきとした、武術です。」
毎回、新しい動作を習うたびに、「この型は、相手がこう攻撃してきたのを、こうやって受けて、こうやって攻撃する」って意味を教えてくれました。
いつも説明モデルにされた、少林寺拳法部の男の子をコロコロ倒しながらww
20歳だったあたしは、「やばい!!太極拳カッコいい!!」と激しく萌えて、運動音痴で運動嫌いのあたしにしては珍しく、真面目に授業に打ち込んだのでした。
多分、あたしの「武術萌え」は、そこで確立されたんだよなぁ。
でも、その3年後、「長拳やりたい」って思っていながら、何故か流れで「空手」始めちゃったりするんですが。

 


<杉村昭人>

中国へは行ったことがないため、まず「中国」からイメージできるものを挙げてみた。「卓球・チャーハン・雑技団・一人っ子政策・万里の長城・商店街の混雑・訴えるような言い方をするニュースキャスター・キレイな女子・安い・パンダ・几帳面」などがあがる。つまり中国へはこういったイメージがあり、これらをひっくるめてこんな中国だったら面白い、経験してみたいと思うものを想
像してみた。安い値段で中国へ行き、安い値段で混雑しているにぎやかな商店街へ行く。そこで姉妹がいない一人っ子のキレイな女中国人と卓球のラケットと球を使い、こんこんコンコンコンコン球を落とさないように万里の長城へ向かう。現地で知り合った女性なためぎこちなく球のうけ渡しでありなかなか思うようにいかない。そんな二人に賑わう商店街は試練を与える。歩き向かってくる人の波、激しくケンカをしあう中国人、雑技団の公演、二人の身長差などなど。しかし彼女は几帳面に球を返してくる。そんなことをしているうちに知らず知らずに自分と彼女との心の距離は縮まっていく。球の受け渡しが上手くなっていく。「相手に取りやすい球を渡さなきゃ」、自然と心遣いも上手くなっていく。気が付けば僕たちは万里の長城に立っていた。そこには今までたちはだかってきた中国人達が待っている。中国人達そこでパンダとチャーハンをくれた。僕たちはみんなでチャーハンを食べる。雑技団のショーをして祝ってもくれた。夕方別れのとき、一緒に頑張ってきた彼女との別れは切なさがあるが、それを隠しつつ「また帰ってくる」と一言残し中国を飛び出し帰国する。
そんなことをやってみたいと思いました。

 

 

 

 

 


<松本俊一>

私は、中国という国に行ったことがない。だいたい海外に行ったことがないのだから当然だ。1972年に、日中国交正常化の記念として、パンダが、上野動物園に贈られた。確か、りんりん、らんらん?あれ、それは双子のアイドルだったか?ともかく、つがいの二頭は、日本中に大フィーバ-を巻き起こした。しかし、私は、実物を見ていない。その頃、まだ、無名であった宮崎峻監督の「パンダ子パンダ」というアニメ映画を、映画館で見た。たしか、二本だてで、もう一つの方がメインだったと思うが、それは、なんだったか覚えていない。時の総理は、田中角栄、私は、小学生だった。あとは、ブルースリー。しかし、私は、それにも、あまり興味は沸かなかった。長淵剛の奥さんの志保美悦子、和製カンフー映画で活躍していた。私の中高生時代のことだ。そして、今は亡きオンシアター自由劇場の大ヒット作品「上海バンスキング」。役者が、楽器をマスターしてジャズを奏でる画期的な舞台、吉田日出子がよかったなあ。なんて、実は、見そこなって見ていないんだっけ。私がはたちの頃だった。もう、お察しのように、私と中国の接点は、ほとんどない。せめて、本格的な、中華料理を食ってみたい。あ~あ。