昨年始めて試みた能と現代演劇とのコラボレーション『能 meets 現代演劇』シリーズ。その第2弾『船弁慶』の公演を前に、ざざん座の方々をお迎えして能や次回公演についてお伺いしました。
たばる 今日はお集まりいただきありがとうございます。能のことや、次回公演『船弁慶』についてたっぷりお話ししていきたいと思いますのでよろしくお願いします。
全員 お願いします。
たばる 早速なのですが、今回の公演で能と演劇のコラボレーションをするわけですが、その演目として『船弁慶』が選ばれたのはどのような経緯だったんですか?
全員 (……あれ、何でだっけ?的なニヤけ顔)
伊藤 あ!確か『鵺』の公演の打ち上げときに『船弁慶』という演目があって、っていう話を小澤さんがしてくださって「それステキ!!」ってなったんだと思います。
たばる そのストーリーがステキだったってこと?
伊藤 なんか前シテと後シテ(※1)が違うっていうのがわりと珍しいんだというのと、派手なエンターテイメント系のお芝居だという話を聞いて「ウチと合うかも!」という話になったんじゃなかったでしたっけ。
小澤 まずは、わかりやすい能だということですね。能の場合、あらすじにすると1行か2行で終わっちゃうところを1時間半かけてやってたりして、結局何が起こって何したのか、何もわかんないで終わってしまうというものも多い。そんな中で、船弁慶はわりとわかりやすいですよ。それは、物語性があるというのが一つ。それから能の中でも一番の花というか見所でもある女性の美しい舞もあるし、切能(※2)という鬼や亡霊が出てくる動きの多い部分もあって、能の中で見せたいものがぎゅっと詰まってる。だからお客様にわかっていただきやすいんですね。
岩上 登場人物が多くてドラマチックですね。人物の対立関係がいくつかあって話が進んでいく。
小澤 出てくる人間がわりと台詞もあったりして。一般的にはワキ(※3)の人は最初に出てきてちょっとやり取りすると、あとはもうずっと黙ってることが多いんですけど。
中西 へー、そうなんだ。
伊藤 めっちゃ喋ってるイメージでした。
小澤 普通の能だと前半は前シテの人とワキとの会話が中心で話が進むんですけど、後半になると、例えば、ワキがお坊さんだったら拝んで後シテの登場を待って、そこから一言も喋らないというのも結構多いですよ。
岩上 何しろ後シテの場面、能の後半というのは全部ワキの夢、最後に夢オチで終わってしまうというのが多いんですよ。だから後半になるとほとんど出番がない。
中西 寝てるっていう(笑)
小澤 後は寝言言ってる。
全員 (笑)
たばる 『船弁慶』は他と違って登場人物が多い演目なんですね。
小澤 そうですね。少ないものだとシテとワキのみ。そして間に狂言が来て説明をするだけというだけですね。どちらかというと、その方が多いですよね。
鈴木 そうだね。『羽衣』だって天人と釣り人だけで。まあ、ワキツレ(※4)というのもあるけど。
小澤 なくても出来ますしね。
岩上 『羽衣』も『猩々(しょうじょう)』もそうですね。
カラクリ へー。
唐津 そういえば、『船弁慶』みたいに狂言方が場の中でしゃべるっていうのは珍しいんですか?
小澤 ええ、珍しいですね。他には例えば『花月』という能の演目があって、それは父子が登場するんですが、子どもが大道芸をしている姿をそのお父さんが観ていて、その大道芸の「あれしなさい。これしなさい。」という指示は狂言方がやってます。
岩上 司会者みたいなものですね。あと別のお話で、7つの年に天狗にさらわれた子が芸人になって大道芸をするというのがあるのですが…
中西 えっ!?すごい設定!
伊藤 その間が気になりますよね。天狗にさらわれて芸人に、て(笑)。
小澤 その説明がないのが能なんです。
岩上 そういうところ全部省略しちゃうんですね。
小澤 で、探しまわっているお父さんがいてその芸を見てる。普通、自分の息子ぐらい見てわかると思うんですけどわからないんですよね。
岩上 しばらく見てる間に、どうも自分の息子じゃないかと。
全員 (笑)
中西 ツッコミどころ満載ですね。
鈴木 前に謙ちゃん(佐藤さん)が言ってたけど、狂言方のイメージは水戸黄門のうっかり八兵衛みたいだなと。
佐藤 黄門様がシテで、ツレが助さん角さん。
全員 (笑) 佐藤 で、八兵衛が狂言方と。あと飛猿やお銀さんを入れてもいいかも。お色気で(笑)
伊藤 舞台上にお風呂とか作れないですよ(笑)
鈴木 お能には入浴シーンはないんですよ。
カラクリ え!?そうなんですね。
鈴木 あと食事シーンもほとんどないですね。酒宴はあるんですが、酒の肴程度。一説によると、食べているところを見せるというのは中世以前は恥ずかしいことだったみたいだね。今、みんなどこででも化粧してるけど、少し前までは人前で化粧するのは失礼だったでしょう?
全員 (笑)
鈴木 フランス語で『トイレットde ヴィーナス』て言うと化粧するヴィーナスなんだよね。だからトイレと化粧っていうのは同意語のようなもので。
佐藤 だから「化粧室」って言うんですよね。
全員 お〜。
鈴木 食事しているところを見られるのは恥ずかしいことというのが民俗学や社会学の解説であったりしますね。それが能と関係があるのかどうかはわからないけれど食事のシーンがないのは不思議だなあと思っていたので、そういう意味もあったんじゃないかと。
岩上 いわゆるタブーですね。
たばる 皆さんのお話を聞いていると、いろんな能の演目のお話が出てくるんですが、能の演目ってどれくらいあるんですか?
鈴木 流派によって違うんですが観世が210番(※5)で宝生が180番ぐらい?
小澤 そんなもんですね。
鈴木 他の五流(五大流派)で独立したものがあるから、それでも五流全部で250くらいですかね。新作能っていうのもあるのですが、ほとんど育たないみたいね。そのうちになくなっちゃって結局600年前からやってるものだけが残っている。
岩上 それだけ演出も洗練されていて、それ以上のものを創るのが難しくなってきてるんですね。能面もそう、新しいものがあまり流行らない。
たばる 『船弁慶』の稽古が進行中ですが、舞の稽古はどんな感じですか?
中西 舞の稽古は……むずかしい。
たばる でも祥子ちゃんは『鵺』のときも舞はやったもんね。
中西 『鵺』のときって、ちょっとざざん座の方々に聞いてみたいんですが、全く能をやったことのない人が、いきなりあと二週間くらいしかないのに『鵺』を舞いたいって言ってきたわけじゃないですか?ぶっちゃけ無理だろうって思いませんでしたか?
鈴木 僕はその前に、まず唐津さんが演目として『鵺』をやるって言ったときに「えー!鵺?」って思いましたよ。『羽衣』とか『葵上』なんかのもっとわかりやすいもののほうがいいんじゃないの?って思ったんだけど。
唐津 ウチの作風的に、『鵺』とかの方がマッチしやすいかなというのがありまして。化け物的な役柄が出て来たり、ハッピーエンドでもバッドエンドでもない微妙な終わり方する作品が、カラクリには多いんですよ。逆にそういうものの中から『鵺』を選んだというか。
小澤 仕舞に関しては、僕は逆に型の多い仕舞だからできると思ったんです。普通、能を習ってる人たちは、型のない仕舞から入ってだんだん型のあるものをする。だから『鵺』なんていう型の多いのは、わりと上級者というか10年15年やってる人たちが舞うものなんですが、逆に型が多い分、能から少し離れていて、普段体を動かされている方ならかえって『鵺』のような仕舞の方がダンスに近くてやりやすいのではないかと。
中西 なるほど。
小澤 だから二週間で動きの少ない能、例えば今回で言う静(静御前)の舞をきちんと見せれるように二週間で仕上げろと言われると「うーむ。ちょっとなあ。」って思うんですけど、『鵺』って聞いたときは二週間あれば大丈夫かなと思いましたね。
中西 だから今回「知盛」役で型の多い舞だから、わりと楽かも。
小澤 今回はたばるさん大変だよ。静だから。
たばる 今回の『船弁慶』で静を舞うことが決まったときに、「大変だよー」って小澤さんに言われましたね(笑)
小澤 基本、知盛は心配してないです。
たばる あははは…頑張ります!
佐藤 今回、弁慶は誰がするんですか?
たばる 伊藤ですね。
伊藤 ぜんぜん謡えません。
全員 (笑)
中西 一番最初に謡うんですけど、そこの稽古のとき「絶対それ違うでしょう」っていう謡(うたい)なんですよね。もう一回安彦さんの手本をちゃんと聞け!って(笑)
伊藤 いや、でもあれ合ってるんですよ。
唐津 絶対嘘(笑)
中西 最初に出てきてまず謡うっていうの緊張しない?まだ舞は面で顔隠れてるし、それまで作ってきた空気があるからちょっと間違えても誤魔化せるけど、能でもなんでもない人がいきなり謡を謡ったときに——
唐津 「へたくそー」ってね(笑)
伊藤 カラクリのお客さんはそんなに気にしないかもしれないんですけど、能のお客さんは「え?」ってなりますかね。
唐津 いや、むしろお能をやってらっしゃる方々は温かい目で観てくれそうなんだけど、ウチのお客さんは「なんだ?このへったくそ」って思うだろうね。
全員 (笑)
伊藤 まず、なぜカラクリ内で一番二番を争うくらい音の取れない私に、謡を二回連続でやらせようと演出は思ったのか。
鈴木 謡は音取れなくていいんですです(笑)
唐津 音を取ろうとするからおかしくなるんだよ。
小澤 謡の音程はないんですよ。そのときの表情も、能ではすっぴんのことを『直面(ひためん)』って言うんだけどね、面をつけてないんじゃなくて、直面をつけている、というような気持ちでいないといけない。
佐藤 顔で表情を作ったらいけないんですよね。
小澤 自分の顔は能面なんです。
岩上 それを面だと思って演じるということです。
伊藤 そうなんですね。もうちょっとキレイに彫ってくれればよかったのに。
全員 (笑)
岩上 能面をつけないのが直面。別名「面なし(おもてなし)」とも言いますね。
中西&伊藤&河野 (ゆっくり同時に)お・も・て・な・し?
全員 (笑)
鈴木 だから自分の顔が裏の顔という。
中西 それ面白いですよね。
たばる 今回、静は直面で舞うんです。
岩上 決して顔を赤くしてはダメですよ。
たばる あ!そうですね(笑)。私が舞う部分は、謡がなく笛の音で動くので、今どこの部分なのかが、どこまで進んでいたらいいのかわからなくなるんですよね。え?今どこ?ってなっちゃう。
中西 そうだよね。オヒャラーとかオヒャヒーとかだけで動くもんね。謡があればその歌詞でわかるんだけどね。
唐津 「あそこのオヒャヒーのところがさ」って言われてもわからないね(笑)
小澤 歌詞つけりゃいいじゃん!(笛の節で)「右〜、開き〜、前向く〜♪」みたいな。
全員 (笑)
小澤 実際『迷子になる』ってよく言うんですけど、同じフレーズの繰り返しなのでわからなくなったりする方はいますね。でも能は「おシテさん至上主義」なので、間違えても囃子方(※6)が合わせるようにしないといけないんです。シテが間違ったように思わせないのが周りの役割なんです。
たばる では間違っても森さんみたいに凛としてたらいいんですね。
森 (苦笑)
中西 森さんは『モリズム』ていうリズムを持っていて、自分が台詞を間違ってもあたかも自分は間違えてないような顔してるんですよ。周りは、え?森さんまだ台詞あるはずなのに、あれ?あれ?みたいな。
小澤 根っからのおシテさんですね。
全員 (爆笑)
森 別に意図的にはやってないですよ(笑)。自分でもカバーしよう、カバーしようと思うんですが、そうなってしまう。
佐藤 舞台では間違っても間違ってないようにやるのも大事ですもんね。
鈴木 「うん!うまくいった!」ってね。植木屋の話があってね、間違って切っちゃいけない枝を切っちゃったときも「うん!うまくいった!」って言わないといけないって。決して「しまった!!」なんて言っちゃいけない(笑)
小澤 やはりシテが自信持ってると舞台が落ち着きますしね。
たばる 今回の『船弁慶』の執筆は順調ですか?
唐津 うーん。ある意味歴史ものなので、史実の部分と伝説の部分というのがあって、さらにその中での能の船弁慶の解釈というのがある。史実のあやふやな部分や伝説の多様さなんかの中で、じゃあどれを採用していくのかという。その選択が悩むところですね。
小澤 全てに解釈を付けて整合性をとろうとするのはむずかしいですね。能のお話ではなかなかないですね。台本見てみるとわかるんですがツッコミどころ満載ですしね。
伊藤 さっきの天狗とかですね(笑)
唐津 物語として見せようとすると、やはりある程度のものは出していないといけない。知盛がどうして亡霊として出てくるのかとか。何の背景もなしに出すと見ててピンと来ないと思いますし。
小澤 昔の人は当然のごとく知盛を知ってましたからね。
岩上 知盛がどういう人なのか、どこかで説明しておかないとわからないでしょうね。
唐津 そうなんです。でも『平家物語』なんかでは潔く死んだと描かれてるので「なんで亡霊になって出てきちゃったんだろう」という違和感が生じる。なので、物語上何かしらの表現をしていかないといけないなと思っています。
たばる 今回、『船弁慶』を能と現代演劇とのコラボレーションで公演をするわけですが、初めてコラボの話を聞いたときはどういう印象を持たれましたか?
岩上 現行のお能では出来ないような解釈というのが、現代演劇とコラボするとできるんじゃないかと思いましたね。
小澤 三島由紀夫も『現代能楽集』とか書いてたりしますしね。 自分の場合は大学のときに能楽のクラブに入ったんですが、そこでは新作能をやってました。仕舞や謡は能のものをするのですが、それこそ今回のようにワキ方を現代人にしてジーパン履いてトレーナー着てナップサックさげて歩く旅人みたいな。そういうことをしていたので、コラボのお話を聞いた時もあまり違和感なかったですね。いいんじゃないの?っていう。
たばる そうだったんですね。
小澤 でも考えてみると、能だから現代演劇と合うんだと思いますね。能って現代の日常とかなりかけ離れていると思うんですけれど、例えば能よりもう少し現代に近い古典芸能で歌舞伎がありますが、これは逆に現代演劇とは合わせずらいかなと思うんですね。急になんだか派手なのが現れちゃって。能で『砧(きぬた)』というのがあるんですけども、ただお部屋で待つのみみたいな話なんですが、こういうのは歌舞伎にはならないけれど現代演劇にはなる。
唐津 そうですね。『ゴドーを待ちながら』という待ってるだけみたいな現代演劇ありますね。
小澤 ええ。だけど歌舞伎にはない。能はそういう意味では現代演劇と似通ったところもあるので、古典の芸能の中では演劇と一番組みやすいのは能じゃないかと思いますね。
鈴木 あと、古典芸能で狂言があるけど、能と能の間にある独立した狂言としてもありますし、登場人物の一人としてちゃんとした役のあるのもあって、『船弁慶』はその両面があるから、ある意味じゃ違う芸能が入っているとも言える。能・狂言やその役割など、唐津さんはよく勉強してらしてタイミングや演出も本当にうまく出来ていて——
小澤 ただ者じゃないですね。
全員 (笑)
中西 すごい!
伊藤 ベタ誉め!
唐津 やめてくださいよ(苦笑)
鈴木 お能って一日やるもんなんですよ。「神(しん)、男(なん)、女(にょ)、狂(きょう)、鬼(き)」の五番(※8)を朝から日が暮れるまで。朝日が昇るときには神様やって、午前中に男、女物、そして狂女物、鬼畜物をやって日が暮れる。そのそれぞれのジャンルの間に狂言が入るんです。そして正式な五番立(ごばんだて)の前には『翁(おきな)』が演じられる。
河野 なるほど。
佐藤 能の五番立の間に狂言が入るということは、狂言は四番するんですよね。ジャンル分けってあるんですかね?
岩上 山伏狂言などありますが通称ですかね。
小澤 動物物とか。
鈴木 あと政治批判とかあるね。
小澤 田舎者が京都に出てくるシリーズとか。
伊藤 シリーズ!
小澤 あと、太郎冠者(たろうかじゃ)次郎冠者シリーズとか。
カラクリ小澤 あ〜!!
伊藤 授業で習う奴!
佐藤 恐い奥さんが出てくるのとか。
小澤 そうそう!恐いおっかちゃんシリーズ。
鈴木 蚊が出てくるのもあるじゃない。ストローくわえてくる奴。
岩上 人間ほどの大きさの蚊が出てきて—— カラクリ えーっ!!(笑)
中西 恐いよ。吸いまくり。
岩上 そして、これが相撲取りに化けて——
伊藤 え???
中西 またツッコミどころ満載(笑)
伊藤 リアルにその大きさ設定。
岩上 で、こいつがその蚊の化けた奴だとバレて、扇を持ってきて仰げ仰げって——
全員 (笑)
伊藤 相撲取りだけど軽さだけは蚊!
中西 おもしろい!
鈴木 そういう独立した狂言を一度やってみるのどう?とんでもない話の狂言はけっこうありますよ。
———と前編はここまで!後半も引き続きお楽しみください。
<脚注>
※1.前シテ/後シテ…シテとは主役のこと。前後2場からなる能では、前半を前シテ、後半を後シテと呼び分ける。
※2.切能…能において鬼・天狗・天神・雷神・龍神などがシテとなる曲。五番立において は最後の五番目に演じられることから、切能または五番目物と呼ばれる。
※3.ワキ…シテの相手役
※4.ワキツレ…ワキの連れのような役。ちなみにシテの連れのような役をツレと言う。
※5.番…能の数え方。
※6.囃子方…楽器の演奏者。笛(能管)、小鼓、大鼓(大皮)、太鼓の四種類からなる。
※7.ワキ座…ワキが座る定位置。舞台の客席正面から向かって右側にある。
※8.五番…江戸時代、能は一日の興行で狂言をはさんで五番(五つの演目。能は先の説明の通り一番、二番と数える)行われており、神・男・女・狂・鬼の5つのジャンルを順番通りに演能していた。この五種類のジャンルを順番通りに能演することを「五番立(ごばんだて)」という。長時間の上演となるため、現在では正式な形ではほとんど開催されない。